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ありがとう「横浜アンパンマンこどもミュー​ジアム&モール」o(^-^o)(o^-^​)o2019年05月28日

カテゴリ: ブログ

5月26日(日)「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール」が閉館致しました。

そして!いよいよ

7月7日(日)
新規オープンします\(^o^)/\(^o^)/※。.:*:・’°☆

楽しみです♪

思えば、オープンから12年。

毎月2日間、欠かすことなくカヨとふたりで通い、うたい続けたミュージアム♪

横浜ミュージアムは、私たちドリーミングの愛すべきホームグラウンドでした。

東日本大震災の時も
「アンパンマンミュージアム」は休みませんでした。

震災から2日後の3月13日。
まだ余震が続く中.ドリーミングのコンサートも開催されました。

「こんな時に、こんな明るい歌をうたっていいのか?」

「こんな時に、笑顔で飛んだり跳ねたりしていいのか?」

「こんな時に、もっと私たちにやれることがあるのではないか?」

こんな時に、、、こんな時に、、、

私たちは疑問ばかりを抱えながら…ステージへ上がりました。

でも、子どもたちの前に出た瞬間!
そんな疑問は飛んで行ってしまいました。

いつものように子どもたちの元気いっぱいの歌声が会場中に溢れていたからです。

「来て良かった!」
素直にそう感じました。

そして1ステージ目を終え、控え室に向かう私たちを追いかけ駆け寄って来てくださったママたちの言葉が、
私たちの確信となりました。

「うたってくださってありがとうございました!元気が出ました!」

ママたちみんな、
目を真っ赤にして
そう声をかけてくださいました。

「子どもが余震を怖がるんだけど、子どもを不安にさせちゃいけないから、家で私は元気にしてなくちゃいけないの。
緊張していた心がほぐれて、コンサート中、涙が止まらなかった」

みなさん同じことをおっしゃっていました。

ママだって怖い。
ママだって不安。
ママだって泣きたい。
パパの留守中に、ひとりで子どもを守らなきゃいけないのだもの。

ああそうか…
日本中が不安でいっぱいになって、心が暗く固くなっているこんな時だからこそ、私たちはアンパンマンの歌をうたわなくてはいけない!
どこまでも明るいこの歌を、今こそうたわなくてはいけないんだ!
子どもたちと一緒に元気いっぱいうたうことで、きっと日本中に勇気と希望の波動が広がって行く。
そう思いました。

実は私たちは、あの3・11の、あの日あの時あの瞬間、津波で多くの犠牲者を出した宮城県の名取市に向かおうとしていました。
出発40分前でした。

翌12日、海岸近くの名取市文化会館で「アンパンマンミュージカル」の公演が開催される予定でした。
もし数時間早く出発していたら、、、
もしも地震が1日ずれていたら、、、
私たちは大惨事に巻き込まれていたはず…。

「護られた!」そう思いました。
でもそれは一瞬でした。

テレビに映し出される名取の海は、目を覆うほど悲しいものでした。

ふと我に返りました。

明日の公演を楽しみにしていた子どもたちはいったいどうなっているのだろう。

「あと何回ねんねしたらアンパンマンに会える?」

きっと子どもたちは
そういってママたちに
何度も何度も尋ねていたことでしょう。

不安で不安で
一晩中、眠ることができませんでした。
ただただ祈るしかありませんでした。

横浜ミュージアムでのコンサートが開催されたのはそんな時でした。

ママたちに後押しされ「うたうぞ!」
と決意をした私たち。
でもそんな私たちに
追い討ちをかけるような出来事が起こりました。

宮城県の石巻に住む友人「綾子ちゃん」が、津波の犠牲になったという知らせが…。

綾子ちゃんは我が家のすぐそばに住んでいました。
友人の紹介で出会った綾子ちゃんは、その時19歳でした。
女優を目指して石巻から東京に来て、お芝居を勉強する学校に通っていました。

時が過ぎ…
綾子ちゃんは、学校を卒業。
石巻に帰ることになりました。

石巻に帰ると綾子ちゃんが決めた時…
どうして止めなかったんだろう。
石巻に帰ると綾子ちゃんに相談された時…
どうして「もう少し頑張ろう!」と言ってあげられなかったのだろう。

まだ23歳。

後悔で、心が壊れそうでした。

「もうアンパンマンの歌はうたえない」

初めて思いました。

母が亡くなった日も、父が亡くなった日もコンサートでした。
そんな時でも、何の疑問も持たずにアンパンマンの歌をうたえたのに。

そんな時です。
東京FM系のラジオ局が、被災地に向けて「アンパンマンのマーチ」を繰返し放送。
勇気と希望の波動が、日本中に広がって行きました。

「今、アンパンマンのマーチがラジオから流れています!子どもたちはいっぺんに笑顔になり元気に。私たち大人は歌を聴いてみんな泣いています。」

私たちのもとにも、たくさんのメールやお手紙が届きました。

私たちはその声に救われました。

私たちの背中を再び押してくださったのは、
その時、
一番苦しんでいた
被災地のみなさんでした。

「何があってもうたおう!」

それは、揺るぎない私たち二人の決意になりました。

まるで、新しいミュージアムオープンに時を合わせたかのように
ドリーミングも新出発となりました。

「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール」が12年間、何があっても入り口の扉を開けていたように。

ドリーミングも何があっても
入り口の扉を開け続けます。

「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール」のスタッフさんたちが、
何があってもお客様に笑顔で接していらっしゃったように。

ドリーミングも
何があっても
笑顔でうたい続けます。

絶望を希望に!
宿命を使命に!

生きる喜びをうたい続けます。

12年間、ミュージアム館の入り口すぐのところで、
御客様をお迎えしていたドリーミングの分身!!
「かんたんシスターズ」のプラちゃんとマイちゃん♪

横浜ミュージアムのみなさん」
本当にありがとうございました!

そして、これからもどうぞよろしくお願い致します♪